【伊賀名所シリーズ 今と昔③】
戦国時代の連歌師・能登永閑が著した「伊賀國名所記」に江戸後期の入交省斎が注釈を加えた「標注伊賀名所記」には、伊賀の名所を上空から見おろしたように描いた絵が添えられている。江戸時代に紹介された伊賀の名所が現在はどうなっているのか、上空からドローンで撮影し、比べてみた。
三重県伊賀市馬場の陽夫多神社(神田忠彦宮司)は、538年の創建とも伝わる。主祭神は須佐之男命。
毎年2月に「裸々押し」と呼ばれる神事があり、ふんどし姿の男たちが肩を組んで押し合う。4月は「大江の羯鼓踊」、8月は「願之山行事」があり、いずれも県指定無形民俗文化財になっている。
標注伊賀名所記では、境内を東上空から眺めた構図で、横長の上拝殿や下拝殿、釣り鐘堂などが描かれている。釣り鐘堂の梵鐘には寛文7(1667)年の銘があり、現在は市の文化財に指定されている。
鳥居の前には小川と橋が描かれ、今も同様の風景が残っている。鳥居には扁額が描かれているが、現在は存在しない。一方、名所記では下拝殿のそばには何もないが、現在は両脇に鳥居がある。
下拝殿の後ろに描かれた3本の木は杉。現在は、右1本が伐採されており2本だけが残る。神田宮司は「明治時代には、保育園や役所があった。境内の様子はころころ変わっている」と話した。
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