【名張支部の稽古の様子=名張市蔵持町里で】

 三重県の伊賀地域と関わりの深い「新陰流」の剣術を体得し、後世に伝えていこうと活動する団体「新陰流兵法 碧燕会」。袋竹刀を使った剣術の稽古だけでなく、伝承のための調査研究や情報収集に力を入れ始め、今年1月からは新たに名張市内での稽古も始まるなど、活動は広がりをみせている。

 新陰流は、文武両道に優れ「剣聖」とも呼ばれた戦国時代の兵法家・上泉伊勢守信綱が創始し、代々受け継がれてきた流派。同会は代表の横田正和さん(47)(伊賀市島ヶ原)が二十二世・渡辺忠成さんから直接指導を受け、前身団体を経て2019年に発足した。

 伊賀地域では、江戸時代に藤堂藩の藩校だった崇広堂(現・史跡旧崇広堂)に新陰流や由来の流派(若山流、戸波流)の道場が置かれていた記録が残り、「日本三大仇討ち」の一つ・鍵屋の辻の決闘の舞台であり、そこで名をはせた剣豪・荒木又右衛門の出身地でもある。13年に神奈川県から移住してきた横田さんは近年、伊賀地域と新陰流に深いつながりがあることを知り、会員らとともに文献・記録の収集や調査を本格化させている。

資料や手がかり求む

 同会が収集した資料からわかったことの一つが、藤堂藩の剣術指南役で「小太刀の名手」として知られた柳生家出身の新陰流剣士・津田武左衛門に、暗殺者という「裏の顔」があったこと。津田家の子孫が保管していた書物によれば、信綱から新陰流の印可状を授かった柳生石舟斎宗厳の子・宗矩と、その子・十兵衛が対立関係にあり、十兵衛から津田へ送られた密書が見つかったという。

 同会では現在、伊賀・名張で計30人ほどが稽古に励んでおり、時には横田さんの自宅などで文献研究などの座学も行う。横田さんは「大先輩が命を懸けて守ってきた流派や技術を、私たちなりに精いっぱいやっていきたい。剣術の修練だけでなく、歴史に興味のある方、関連する資料や手がかりをお持ちの方など、さまざまな人たちとのつながりを得て、今後の活動や将来への伝承につなげていけたら」と話していた。

 稽古は、伊賀本部が伊賀上野武道館(伊賀市小田町)で毎週土曜午後4時から、名張支部は武道交流館いきいき(名張市蔵持町里)で毎週月曜午後8時から。月謝5000円。見学は無料。

 問い合わせや情報提供は横田さん(080・5423・0968)電子メール(masayokota001@gmail.com)、または山下さん(090・6614・9805)まで。

資料を見ながら話し合う横田さん(右)ら=伊賀市島ケ原で

2021年4月10日付793号10面から

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