【仲睦まじいアルカターニさん(左)と五十川さん夫妻(提供写真)】

 25年前に伊賀から中東のサウジアラビアへ移住した五十川徳恵さん(58)。現在も夫のワリード・アルカターニさん(56)と、首都リヤドから約400キロ離れた東部の都市ダーランで幸せに暮らしている。変革の波が押し寄せる砂漠の国での生活について、話を聞いた。

 アラビア半島の約8割を占める君主制の王国で、日本の約6倍の国土は大部分が砂漠。約3500万人の人口を抱える世界屈指の産油国だが、近年は石油依存からの脱却を目指している。最近では、ウクライナ情勢を巡る交渉の舞台としても注目されている。

 五十川さんは19歳の時、家族とともに京都から三重県伊賀市鍛冶屋へと移り住んだ。22歳で米国へ留学し、アルカターニさんと出会った。

 2人は同じ大学と大学院で学び、交際を続けながらキャリアを形成。五十川さんはニューヨークの日系証券会社、アルカターニさんは世界最大の石油会社「サウジアラムコ」(本社・ダーラン)に就職した。

 2人は10年以上の交際を経て婚約。しかし、国際結婚にはサウジ政府の許可が必要で、通常の手続きでは1年以上待っても実現しなかった。そこで、外交官だったアルカターニさんの父親が王族に掛け合ったところ、わずか3日後に許可が下りた。実家に戻っていた五十川さんは2000年6月、ついにサウジへと渡った。

砂漠にあるシェイバー油田の施設。アルカターニさんが増設に関わった(サウジアラムコウェブサイトより)

 当時は外国人観光客の入国が原則として禁止され、事前の情報は少なく、移住当初の五十川さんはその独特な文化に衝撃を受けた。

 イスラム教の教えに基づき、豚肉や酒は厳禁。人々は1日5回の礼拝を行い、ラマダン(断食月)には日中の飲食も制限される。

 生活で特に戸惑ったのは、男女の格差だった。宗教警察が女性に「髪を隠せ」と厳しく指導するのも日常。家の入口や客間が男女別で、女性が車を運転することも禁止だった。公共交通も未発達で、出掛けた帰りにタクシーがつかまらず、気温48度の炎天下の中で1時間立ち尽くした経験もあったという。

急速に変化する社会

 しかし、近年のサウジは急速に変化し、女性の運転が解禁され、社会進出の道も開けた。デジタル化が進み、公共サービスの利便性も飛躍的に向上しているという。

 22年のサッカーワールドカップでサウジがアルゼンチンに勝利を収めた時には、国王の命令で次の日が突然、祝日になった。五十川さんは「サウジでは何かが始まると、驚くほどのスピードで進んでいく」と話す。

 現在は「三菱重工コンプレッサ」(本社・広島市)の現地法人で、日本や欧州からの技師を取引先に派遣する業務を担当する傍ら、地域の婦人会の運営にも携わる。国内で日本文化への関心も高まっており、「忍者の里から来た」と話すと、人々の目が輝くという。

 年に2回は家族が住む伊賀市へ帰省している。米国留学中の長男(22)を思いつつ、五十川さんは「定年後は夫とともに、サウジと伊賀を行き来する暮らしができれば」と未来を思い描いている。

ダーラン隣町のアル・コバール。2人の勤務先がある
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