【夏見廃寺跡に立つ高見さん=名張市で】

 「夏見廃寺から出土した遺物のルーツを調べるうちに中国には10回以上訪れた」と話す三重県名張市緑が丘西の高見省三さん(78)は、伊賀地域の歴史を研究している名張歴史読書会の会長だ。

 若いころから歴史に興味を持ち、63歳で退職後、本格的に歴史を学ぶため、奈良大学通信教育部の文化財歴史学科に入学した。今も同大学で学んだ友人と各地の仏像を見学、名張の歴史もより深く研究しているそうだ。

 「歴史を学ぶ上で大事なのは興味本位ではなく、全てに疑問を持ち、探求する気持ちを持つこと」と話す高見さん。「例えば夏見廃寺のせん仏の原型はどこから来ているのかを調べていくと、1949年に焼失した法隆寺金堂壁画だと分かる。ルーツをたどると、中国の敦煌にある世界遺産「莫高窟」の壁画、更にはタクラマカン砂漠から出土した仏像に行き当たる。現地で確認すると、法隆寺金堂壁画と描き方や技術がぴったりと合う。突き詰める作業を重ねた結果、中国には何度も訪れることになったが、疑問が解明されるたびに大きな喜びがある」と話す。

 高見さんは現在、歴史のロマンや魅力を伝えるため、同会主催の「読書会」を市立図書館(丸之内)で毎月1回、考古学者や博物館館長などを講師に招いて開催している。

 また、蔵持市民センター(蔵持町原出)では年4回、名張と近郊の遺跡、仏像など、さまざまなテーマで「歴史講座」を開いている。更に蔵持小学校の6年生を対象に、ゲストティーチャーとして身近な歴史を教えている。

 市武道交流館いきいき(蔵持町里)の裏手にある「塚原遺跡」では邪馬台国の時代に関係する遺跡が多数発掘されていること、桔梗が丘南の「蔵持黒田遺跡」からは、使途が不明な「手あぶり形土器」が32個も発掘されていることなどを実際の出土品を見せながら話すと、児童たちの目の輝きが増すという。

 「この土器の用途を解明してくれる子どもが、将来出てくるのが楽しみ」と笑顔で話す高見さん。「現在の関心は空海(弘法大師)。来年3月の名張歴史読書会では、空海をテーマに私なりの研究成果を報告したい」と話した。

- Advertisement -