【伊賀名所シリーズ 今と昔④国府】
戦国時代の連歌師・能登永閑が著した「伊賀國名所記」に江戸後期の入交省斎が注釈を加えた「標注伊賀名所記」には、伊賀の名所を上空から見下ろしたように描いた絵が添えられている。江戸時代に紹介された伊賀の名所が現在はどうなっているのか、上空からドローンで撮影し、比べてみた。
三重県伊賀市坂之下の伊賀国庁跡は、木津川支流・柘植川右岸の段丘上に位置する古代伊賀国の役所跡。長らく場所が不明だったが、1991年度から94年度に行われた柘植川北岸のほ場整備事業による発掘調査で、奈良時代から平安時代にかけての大型掘立柱建物などが見つかった。
その後、周辺で「國厨(くにのくりや)」と塁書された土器が見つかり、「こくっちょ(国町)」という地名も残ることなどから、遺構が伊賀国庁跡であると確定。2009年には、国の史跡に指定された。
18年度から保存整備事業が進み、昨春は御影石製の史跡標識、今春は正殿の掘立柱の位置に23本の模擬丸太が設置された。今後は前殿や東西の脇殿なども模擬丸太を設置する予定だという。
標注伊賀名所記では、手前に柘植川、奥に山、そのふもとに家々が描かれている。郷土史家の水谷侃司さんによると、中央やや左に描かれている鳥居が波多岐神社(土橋)で、絵図では発掘で見つかった伊賀国庁跡の場所より全体的にやや西側の風景が描かれている。水谷さんは「江戸時代には国府の正確な位置が分からなくなっていたので、このような描かれ方になっている」と話した。
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