作曲者は伊賀に 地元男性「また来てほしいと」
ちょうど50年前の1974(昭和49)年にレコーディングが行われた「月ヶ瀬小唄」は、梅の名所・奈良市月ヶ瀬地区(旧月ヶ瀬村)の民謡で、当時20代で新進気鋭の八代亜紀さんが歌っている。録音から4年後には八代さんを招いて住民らに披露の場が設けられ、老若男女に歌い継がれてきた。昨年末、八代さんが病気のため73歳で亡くなり、当時八代さんを月ヶ瀬に招いた有志の一人、同市月ヶ瀬尾山の松本定則さん(75)は思い出を振り返りながら「また梅を見に来てほしかった」と語る。
「月ヶ瀬村史」によれば、「春の月ヶ瀬梅観に暮れて」で始まる月ヶ瀬小唄は1933(昭和8)年に完成し、曲は三重県伊賀市上野丸之内で写真館を営んでいた芝高治さんが付けたとある。4番まである歌詞には、梅が咲き誇る山里の風景などが織り込まれ、「エーホィヤサノサ」という合いの手が特徴的だ。
「月ヶ瀬小唄を歌手に歌ってもらい、レコードにしたい」。当時の村長や、村議で同村観光協会の初代会長も務めた福岡喜昭さん、松本さんら有志6人が製作実行委員会を組織し、全国のプロダクションと交渉する中で、テイチク(現テイチクエンタテインメント)専属歌手の八代さんに歌ってもらうことが決まった。松本さんらは東京の録音スタジオにも出向き、「レコードができたら月ヶ瀬に来てもらおう」と計画していたという。
74年9月には若手歌手・筏井はつみさんを招き、小学校の体育館で「月ヶ瀬小唄レコード発表会」を開催。更に3年半後の78年2月、梅まつり開きに来村した八代さんが、月ヶ瀬小唄を地元の人たちの前で披露した。各所で同席した松本さんは「歌うにはすごくエネルギーが要るということなのか、とてもよく食べる方だった」と印象を話す。八代さんはその足で河畔に梅を植樹し、「植える掌に紅こぼるゝや 亜紀乃梅」という俳句も詠んだ。
地域の体育祭 輪になり踊る
月ヶ瀬村が委託製作したEP版レコードはB面に「月ヶ瀬夜曲」を収録し、500枚が各戸に配られた。月ヶ瀬小中学校(尾山)では、新型コロナの拡大以前は授業でも歌や踊りに取り組んでいたといい、昨秋4年ぶりに開かれた、小中学校と地域との合同の「月ヶ瀬体育祭」では、児童生徒と地域住民が一緒に輪を作り、月ヶ瀬小唄に合わせて踊った。
「歌手活動が忙しくなり、なかなかお呼びできる機会もなかったが、ずっと『また月ヶ瀬に来てほしい』と願っていた」と複雑な表情を浮かべる松本さんだが、「八代さんが歌ってくれた月ヶ瀬小唄が、今も多くの人たちに親しまれている。今年もきっとどこかから、満開の梅を眺めてくれているはず」と語った。
2024年2月10日付861号1面から