炎が揺らめくトーチ5本がお手玉のように宙を舞い、群衆から熱い歓声が沸く――。三重県名張市で育ち、大阪に住みながら全国でパフォーマンスを披露する大道芸人「星丸」こと小林正典さん(44)は、公演機会が一時はゼロになったコロナ禍を経て「お客さんのレスポンスが戻り、僕のエネルギーになっている。やっぱり大道芸が好きだ」と心境を語る。
小林さんは5歳の時に家族で奈良県から名張市に移住し、小中高と市内の学校に通った。大道芸に出会ったのは、大阪芸術大に入った年の夏。後に同業となる同級生から、筒と板の上でジャグリングをするローラーバランスと呼ばれる芸を見せられたのがきっかけだった。「大道芸サークルを立ち上げるから入って」とそのまま勧誘され、練習を始めた。
「意外とできる」。小林さんはテニスを続けてきた影響で、手先の扱いや動体視力、バランス感覚などが鍛えられていた。大阪の天保山マーケットプレース(海遊館前)で芸を披露する外国人の技をまねしたり、ビデオで学んだりしながら練習を重ねた。
優勝5回経験
同級生とコンビを組んで、公園や学園祭などで客を前に技を披露するようになり、3年の時には世界最大級の大道芸イベント「ワールドカップin静岡」に出演。大学卒業後は天保山で芸を披露できるライセンスを獲得し、ソロのプロ大道芸人として歩み出した。
デビュー後、業界の先輩からキャラクターを打ち出すことを勧められ、「スーパーアイドル星丸」として活動。アイドルのダンスのように華麗に見せるファイヤーパフォーマンスを中心に、一輪車や中国ごまなどさまざまな道具を使った技で観客を沸かせ、各地の大道芸コンテストで計5回の優勝を経験した。
若手の台頭を意識していた31歳の時、約2メートルのはしご上に立ってジャグリングをする大技を一人で練習中、バランスを崩して転落。意識を失ったまま救急搬送され、背中の骨の一部を折ったものの、短期の入院で済んだ。小林さんはけがにめげず、その後も新たな技の習得に挑み続けた。
プロ18年目を迎えた40歳の時、海外進出も考えていた中でコロナ禍が直撃。客を近くに呼び寄せ、一体となって盛り上げるのが大道芸のだいご味であり、3密回避の中での活動は困難を極めた。
天保山を始め、各地で毎日のように披露していた公演がゼロになる日々が半年続き、小林さんも同業の仲間もアルバイトをして生計を立てた。そんな状況でも大道芸人を辞めるという選択肢はなく、「いつまでも続くことは絶対にない」と自分に言い聞かせた。
昨年11月、天保山での大道芸が2年半ぶりに解禁されたが、現在もコロナ禍前に比べ公演機会は減ったままだ。それでも週末はほぼ毎週、各地のイベントでパフォーマンスを披露できるようになってきた。妙技を決める小林さんを数百人の笑顔が囲み、歓声と拍手が止まない、そんな風景が戻ってきている。
小林さんは「お客さんをどんどん巻き込み、魅力を伝えていきたい。いつかは名張でも、後進の育成や大道芸イベントをしたい」と前を見据えている。
小林さんの公演予定は短文投稿サイト「X(旧ツイッター)」のアカウント(@hoshimaru816)で告知している。