大雨や洪水により三重県伊賀地域に甚大な被害が出た1953(昭和28)年8月の通称「二八災害」から今年で70年。当時洪水で決壊し、住民らが再建した伊賀市久米町の久米川沿いの堤防に、「二八杉」と呼ばれる1本の杉がある。堤防工事のころに偶然自生し、近所に住む米井淳文さん(68)が父とともに手入れをして長らく守り継いできた。
米井さんが亡父・良一さんから聞いていた話では、上流にあった橋が壊れて久米川をせき止め、ほどなく決壊して周辺の集落は浸水被害に遭った。現在地より川近くにあった旧居は大きく損壊し、各家で飼っていた牛を避難させようと、大勢の住民が高台の寺院に向かったという。住民らは家屋の修復や水田の復旧だけでなく、堤防の復旧工事にも忙殺されたそうだ。
堤防脇に生えた杉と「小学生のころに背比べしたことを覚えている」という米井さんは、良一さんから杉のいわれを聞いていたこともあり、下草刈りや枝払いを続けていた良一さんの姿を見て、自然と手伝うようになった。幹の直径は30センチほどだが、樹高は20メートル以上に伸びたため、10年ほど前には「はしごをかけて登れる域を超えてしまった」という。
米井さんは近所の人や知人など、限られた人にしか杉のいわれを話したことはなかったが、「災害は忘れたころにやってくるもの。この杉のことを先々まで、地元の人たちに知ってほしい」と、3年前に「二八杉」と記した小さな石碑を杉の根元に設けた。「近年は災害が増え、激甚化している印象が強い。この杉を通じ、伊賀で実際にあった二八災害のことを知り、防災意識を高めるきっかけにしてもらえたら」と語った。
2023年8月26日付850号4面から
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