松尾芭蕉と同郷で門弟の俳人、服部土芳をしのぶ「土芳忌」が命日にあたる1月18日、三重県伊賀市の西蓮寺(山本純裕住職)で営まれた。墓前法要には芭蕉翁顕彰会の役員ら約20人が参列し、花が手向けられた墓石に手を合わせた。
藤堂藩士だった土芳は、30歳の頃に退いてから伊賀蕉門の中心的存在として俳諧一筋に専念した。1688年には蓑虫庵(同市上野西日南町)を開き、芭蕉の俳論を体系化した「三冊子」の執筆や「蕉翁句集」など芭蕉の言葉や作品をまとめ、今日の芭蕉研究の基礎を作った。
今年は土芳が1730(享保15)年に74歳で亡くなってから293回目の命日にあたる。70歳のときに自ら建てたとされた墓は長らく所在が不明だったが、1960年に芭蕉翁記念館の当時館長だった故山本茂貴さんが同寺境内の土中から縦70センチ、横20センチの墓石を発見した。
法要の後、顕彰会の岡島久司会長は「土芳が芭蕉の功績を広めてくれた。これからも引き継いでいきたい」とあいさつした。午後からは同市上野丸之内のハイトピア伊賀で芭蕉翁記念館学芸員の高井悠子さんによる講話「『猿蓑』編集と土芳の句」や俳句会が開かれた。
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