東京五輪のスケートボード・パークで初代金メダリストとなった四十住さくら選手(19)が、大会を終えて約2週間後の8月中旬、以前から練習に通っている三重県名張市美旗中村のスケートボード場「ファイブクロス・スケートパーク」を訪れ、顔なじみの地元のキッズ選手や関係者らから祝福を受けた。
和歌山県岩出市出身で、小学6年からスケートボードを始めた四十住選手は、自宅から母親の運転する車で関西圏の練習場などに出掛けて練習に励んできた。2012年にオープンした名張の同パークにも、中学時代から往復約5時間かけて通うようになり、同年代の選手らと競い合ってきた。
18年には国際大会で優勝するなど、日本を代表する選手に成長。五輪の1年延期は「練習できる時間が1年増えた」とポジティブに捉え、昨秋からは、地元酒造会社の協力を得て自宅近くに完成した専用練習場「さくらパーク」を拠点に、来たる時に備えてきた。
五輪の決勝では、水平方向に1回転半する高難度の技「バックサイド540」を2回連続で決めるなどし、見事表彰台の中央に立った。「最初は五輪や勝ち負けを意識せずにやってきたけど、成績が残せるようになって意識が変わってきた。できなかった技も、何度も繰り返しやり続けてできるようになった」と軌跡を振り返る。
「1位になったのテレビで見てたよ」「私も頑張る」。同パークに通うキッズたちも金メダリストの〝凱旋〟を喜び、言葉を交わしていた。四十住選手は、コロナ禍でも練習に励むキッズたちに向け「何よりスケートボードを全力で楽しんで。目標は大きく持って」と笑顔を見せた。
2021年8月28日付802号1面から
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