今回は、ホタルの名所としても知られ、水田が広がる伊賀市南部の比自岐地区をぐるりと巡る、約10・5キロのコースを紹介します。(取材・山岡博輝)【1枚目の写真 青山高原を望む水田は田植えの直後】
【比自岐小学校の校舎にはこいのぼりが掲げられていた】
取材日は5月23日。現在休校となっている比自岐小学校前が今回のスタート地点です。津地方気象台によると、同日午前9時の伊賀市の気温は約17度。分厚い雲が空を覆っていますが、それほど汗もかかないで歩けそうな気候です。
【岡波集落の入り口にある池越しに比自岐集落を望む】
酒蔵や製材所の脇を通り、まずは県道枅川青山線を西へ。シロツメクサやタンポポ、レンゲなどが咲く田の土手を眺めながら、「岡波東」の看板を南に折れ、御代川を渡ると岡波の集落に入ります。ウシガエルの鳴く方へ丘を上がると、池越しに比自岐の集落を望むことができました。
岡波には朱色の鳥居が目印の玉岡稲荷神社、中央部には光福寺があり、集落は東西に30軒ほど。通り掛かった年配の男性にあいさつをすると、「このへんには猿の群れがよく出てきて、野菜を荒らしていきよる」とぼやきながら、すぐ裏の山の方向を見つめました。集落の西端付近から南に折れ、今度は神戸地区の下神戸にある領主谷集落へ向かいます。
【領主谷神社】
岡波から10分ほどで、育苗ハウスがたくさん並ぶ領主谷へ。県の資料によると、藤堂新七郎家に属する鉄砲組(猟師)の子孫らが開墾した「猟師谷」が、現在の領主谷という説があるそうで、谷あいに10軒ほどの民家が集まっています。
領主谷を後にし、西方へ続く緩やかな上り坂を歩きます。日差しが強くなり、少し暑さも増してきましたが、下りになると心地良い風が吹き抜けていきました。ふと気づくと、頭上の木の枝から毛虫が何匹もぶら下がり、知らぬうちにズボンに1匹……。たくさんの虫たちが動き出す季節でもあるのです。
謎の古墳!? 伝説の柿の木
領主谷川沿いまで下り、県道に出て東へ。比自岐川に沿って小学校の方向に歩きます。天候は少しずつ回復し、正面には青山高原の風車群も見えてきました。川の北側を行く未舗装の道からは、田の土手にシラサギが5羽止まっていました。餌を探していたのでしょうか。
【田の真ん中にある王塚古墳】
集落排水の処理場を過ぎると、真っすぐな道を1か所だけ屈折させている丘があります。地図には「王塚古墳」とある前方後円墳で、案内看板などはありません。比自岐地区の「地誌上申書」には「確実タル縁由ナシ」とあり、明確な歴史は分かっていないようです。アスパラガスやイチゴが育っているビニールハウスを見ながら、出発から1時間50分でいったんスタート地点に戻ってきました。
【比自岐から摺見へ向かう途中にある「夕部柿」】
小休止を挟み、今度は東へ。休耕田に咲く菜の花の淡い香りを感じていると、道端に「夕部柿」という看板の立つ大きな柿の木がありました。「伊賀の國地名研究会」の資料によると、その昔、弘法大師が、旅に携えてきた柿の木の杖を地面に刺して一晩中呪文を唱えたところ、そこから芽が出て木となったという言い伝えがあるそうです。そんな夕部柿からほどなく、広域農道(コリドールロード)に合流しました。
広域農道から分かれ、摺見の集落に入ります。比自岐川沿いから少し上がると、突き当たり付近に浄瑠璃寺がありました。寺の前からは、竹やぶの陰に菜の花畑が少し見え、涼しげな風も吹いてきました。
再び広域農道を渡り、集落の南側へ。公民館の前で、ちょうど正午を告げるサイレンが鳴りました。常夜灯の脇から西側を見ると、比自岐集落の向こうに、上神戸の我山集落を望むことができました。
みたび広域農道を渡り、元来た方向へ。ふと、民家の裏庭に2匹の猿が入っていくのが見え、少し前に岡波で聞いた猿の話を思い出しました。前方の茂みは比自岐神社で、使われていない様子でしたが鐘と鐘楼堂もあり、ご神木とおぼしき2本の大木が神々しさを醸し出していました。
県道に戻り、午後12時35分に小学校前へ戻ってきました。歩数計は1万5830歩。坂道は少なく、ゆったり歩ける道がほとんどで、伊賀鉄道丸山駅を発着点としても、ほぼ同じルートをたどれます。
- Advertisement -