文化審議会(馬渕明子会長)は1月19日、国の重要無形民俗文化財として伊賀市山畑の「勝手神社の神事踊」を含む6件の指定を文部科学大臣に答申した。指定されれば、同市では「上野天神祭のダンジリ行事」に次いで2件目になる。【奉納される神事踊の様子(伊賀市教委提供)】
市教育委員会などによると、神事踊は県内に伝承される「かんこ踊り」の一つ。伊賀地域では「雨乞い踊り」や「祇園踊り」などとさまざまに呼ばれていたが、いずれも「かんこ」や「かっこ」と呼ばれる長筒の締太鼓を胸に付けた踊り子が中心で、山畑以外にも大江、下柘植、愛田、比自岐の4地区で現存する。
神事踊は楽長1人、楽打ち4人、中踊り6人、立歌いと地歌いの歌出し5人、鬼2人、籠馬と馬子が各2人、猿1人の計23人。中踊りは造花で飾り付けた割竹を枝垂れさせた「オチズイ」を背負う。神社の沿革史に記録された踊りの起源は2説あり、ともに江戸時代の寛政年間だが、確たる証拠はないとしている。
特徴は、多くの役を必要とする構成や音楽面で複雑な旋律やリズムを有することの他、伝承形態でも各役の教える人が「オヤ」となり、後継者で若者の「コ」はそれぞれの「オヤ」から歌や踊りを習う仕組みを取って
いる。この関係は踊りだけでなく、冠婚葬祭などでも親族同様の付き合いが続くという。
以前は10月10日の秋祭りの日に行われていたが、現在は10月の第2日曜に変更している。当日は神社から東に約1キロ離れた御旅所を出発。境内では「式入」、「御宮踊」、「神役踊」、「左舞の式入」「津島踊」の演目5つを奉納する。
保持団体「勝手神社神事踊保存会」の会員は山畑区民。大正期に雨乞いで2度踊ったのを除いて1907(明治40)年の合祀から中断していたが、1933(昭和8)年に復活した。知らせを聞いた保存会の藤森勝英会長(72)=左写真=は「地元の誇り。先輩たちが苦労して残してくれた踊りが、日本中に響き渡ることはこの上ない喜びです」と話した。