伊賀市教育委員会は3月30日、市が所有する上野丸之内の「成瀬平馬家長屋門」を有形文化財(建造物)、同市長田の常住寺が所有する「松寿院供養塔」を史跡として市の文化財に指定したと発表した。【伊賀市文化財に指定された成瀬平馬家長屋門=伊賀市教委提供】
文化財課によると、成瀬平馬家は城代に次ぐ加判奉行の職に就いていたとされる。上野の城下町に残る長屋門としては、上野相生町の「入交家住宅」(県指定有形文化財)と赤井家住宅(国登録有形文化財)の2軒が残っているが、城内では成瀬平馬家が唯一という。
屋敷の主屋は取り壊されているが、江戸時代末期に建てられたと考えられる長屋門は木造平屋建てで、間口15メートル、奥行き5メートル、高さ4・6メートル。門扉や潜戸、外観南側の武者窓、改変された出格子の位置は建築当時とままと推定。左右の部屋は西側が物置で、東側は居宅で、3畳と4畳の部屋に床の間がある6畳の座敷があった。
市が取得したのは2012年7月。長屋門は寄付、土地は約6500万円で買い取った。
供養塔は2基あり、1つは常住寺の境内で大きさが総高2・15メートル、幅60センチ、厚さ30センチ。松寿院は慶安元(1648)年に亡くなった藤堂高虎の側室で、2代藩主の高次(1602‐76)の生母にあたり、高次が13回忌に閻魔堂の再建とあわせて西側に建立したとされる=右写真。
もう一つは寺西側の裏山にあり、形状は駒形=左写真。総高3・14メートル、幅が最長90センチ、厚さ45・5センチで、高次が23回忌に建立した可能性が高いという。寺の西側にある丘陵(長田山)には、3代藩主の高久公墓所(県指定史跡)があり、同課は「高久公墓所や常住寺閻魔堂、松寿院供養塔がある長田山は、17世紀後半の藤堂家にとって特別な場所であったといえる」と説明した。
市指定文化財は今回の2件を含めて284件。市文化財保護審議会が2月13日に答申し、3月28日の市教委定例会で承認した。